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  五條楽園って其の弐

610: 名前:mi投稿日:2002/11/12(火) 15:02
続けての投稿で申し訳無いです。
自分の書いた事ながら、「芸者」「芸妓」「娼妓」に関して、改めて確かめて見ました。
女性が金銭で「節操」を売ったと言われる起源は寿永の秋(1180年頃)平氏の一門が壇ノ浦で敗れた際に建礼門院の官女が逃げ彷徨っている所を下関の住人「鞆屋」がその一門を匿い、家に引き取り、「上臈(じょろう)=(多分、居候)」とした。
これらのものが、自分の生活を賄う為に、野山で花を摘み、港に停泊する船などに売っていたが、船人に馴れ親しむ様になり、節操を売るに至ったと記されており、そのもの達が自ら「上臈」を「女郎」と称した記されています。
先の「鞆屋」は、その「女郎」を下関の稲荷町に妓廊を起こして、後にこれが「遊郭」との起源となったようです。
そして、「女郎」が節操を売る名称を「花代」と言った様です。
この「花代」はもともと「上臈」の時に野山の花を売っていた事から、「女郎」が定めた名前の様です。
そして、「新潟遊女考」を読み進めると、「京女郎に似て」というくだりがあり、「新潟」で遊女が起こる以前に、京都には「遊女」が居た様です。
「新潟」での芸妓の定義は、世俗色を売り、芸を売らない妓を娼妓、芸を売りて色を売らないものを芸妓、そして、芸も売り、色も売るものを「歌舞遊女」、と定めた様ですが、後に「歌舞遊女」の呼び名が無くなり、「芸妓」が芸を売り色を売らずと、芸も売り、色も売るの両方の名称となったようです。
そして、「町芸者」と呼ばれるものは、芸を売り、色を売らずのものを指して、「芸者」と呼ばれていたが、「芸妓」に統括されていった様です。
やっと、ここでT2さんのレスとシンクロしました。
この「新研芸妓」は「芸者」であり、色を売らなず芸を売る、現在の祇園などの「芸妓」のルーツとなるでしょう。
では、置屋組合は検番と同じだったのでしようか?
五條楽園の五条会館は、その昔「五條歌舞練場」と呼ばれているのを記憶しています。
その昔は、芸の披露会も催されていた事も、過去レスで書かれています。
先斗町や祇園にも歌舞練場があり、午後から、着物姿の芸妓さんや舞妓さんが、足早にそこへ出入りする姿を見た事があります。
歌舞練場は、その名の通りに練習場であり、発表会の場所であったのでしょう。
映画「おもちゃ」の中で、「舞妓」になる為に、数人の師匠の前で、舞を披露して、見定めて貰う場面があります。
此は、一種の「免許」の様なものの発行と同じだったのでは無いかと思われます。
芸妓・舞妓の技術を一定以上に保てているかを検査する所が「検番」なのかと思ったりもしています。
果たして「検番」=「置屋組合」に行き着くのか、更に調査を続けなければ解りませぬなぁ。


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